こんにちは。まさおです。
ここ数日、熊本の秀岳館高校サッカー部の暴力問題が話題になっています。報道を見る限り相当レベルが低いやり取りのように見えてしまいますが、勝利至上主義の立場で見れば大真面目な議論なのかもしれません。時代の変化にあわせて部活動も変わっていく必要があると思います。
今回は「部活動の勝利至上主義と暴力問題」というテーマです。
現在も部活動と暴力が日常になっている学校も
ここ数日、秀岳館高校サッカー部の問題が報道されています。
様々な動きがあるので簡単にまとめられないのですが、監督もコートも部員も一種独特な空気の中で暴力が日常的に行われていたことは間違いようです。
もちろん多くの健全な部活動がこのような暴力問題と無縁だとは思うのですが、一部学校、しかも全国大会の常連と言われる強豪校に多く見られるのが大変残念です。
日本ではかつて体罰が認められていた?
このような勝利のための暴力の土壌は、日本には伝統的にあったと思います。
現在指導者となっている40代後半から60代前後の人が小中学生だった頃は、「スポーツ根性もの(スポコン)」というジャンルがあったくらいで、勝利のためには何でもありでした。
巨人の星では火の玉ノックがあり、アタックNo.1でも猛烈なしごきに耐えて勝ち上がっていくというシーンがありました。
今でいえば、完全に体罰認定でアウトだと思います…。
また、もう少し時代が下ってドラマ「スクールウォーズ」では、監督が試合に負けた部員を1人ずつ殴るというシーンがありました。
当時の自分も運動部とはそういう世界なのかと思い、近づきたくないなと思った記憶があります。
それ以外にも、プロ野球の星野監督の「鉄拳制裁」などは、かつてのスポーツ界の状況を象徴的に表してきています。
全てとは言いませんが、多くの日本のスポーツ界は暴力によって強化されてきた歴史を持っていると言っても過言ではありません。
日本の部活動では勝つためには、体罰も含めたしごきに耐える必要があるという原則がインストールされてしまっていたように思います。
その人たちがきちんと勉強もせずに自分の過去の成功体験だけで指導をしていれば、暴力はある意味「不可欠」なものになってしまうのかもしれません。
勝利至上主義の問題点
日本が高度経済成長下にあり、勝利こそが全てだった時代には、多少の暴力があっても結果を出す人が評価されてきたと思います。
令和の現代にあっては、手段を選ばずに得た勝利の価値は大きく低下をしていて、正しい手段・手法を経て勝利を手にする必要があります。
決められたルール化でフェアに戦っての勝利が求められています。
その意味においては、部活動と暴力の問題は早急に根絶しなければなりません。
暴力を使うことでチームを強くしてきた監督やコーチは、そのやり方を変えられなければただの無能者という評価になってしまうということです。
暴力以外の方法で、選手のモチベーションを上げ、技術を上げ、チームを強くできるかをきちんと評価し、「勝利至上主義」を転換する必要に迫られていると考えるべきです。
日本は特に子供の権利を軽視する傾向が強いとも指摘されています。
子供の権利条約を日本が批准したのは1994年でこれも当時の批准196か国中158番目という遅さです。
さらに、日本の教育者の中には子供の権利に関する知見のない人もいまだに多い状況があります。部活動の暴力などは「子供の権利」を知っていれば起こり得ない問題のようにも思います。
全国大会の方法再検討も有効
部活動における暴力を根絶するための具体的な検討をスポーツ庁を中心にぜひ具現化してほしいと思います。
たとえば、
・全国大会出場資格に生徒・保護者に匿名アンケートによる指導内容調査を入れる
・各スポーツ連盟が抜き打ちで練習状況を視察する
・全国大会をトーナメント戦のみではなく、1次リーグと決勝トーナメントにする
など、監査と一発勝負の最大瞬間風速方式を辞めることが重要だと思います。
そもそも「部活の勝利」にここまでこだわるのは、大人側の問題でもあるように思います。
子供を勝利至上主義に扇動しているもの大人ですし、その仕組みに翻弄されて自律できないのも大人です。
正しい部活動指導の在り方を大人がきちんと認識するステップが最初に必要だと思います。
部活動は教育の一環として本当に必要なものなのか、改めて問うべきだと思います。
趣味の延長としてやりたい人が、楽しく自分を成長させる場として機能するよう、全体デザインの見直しが求められていると思います。
コメント