前回までで古典常識の入り口である、12支と方位や時刻の関係を整理してきました。
今回は番外編として、「鬼門」についてご紹介します。
鬼門の知識は、直接入試で問われることは少ないものの、古文の世界のものの考え方を理解するうえで重要です。
鬼門とは
鬼門とはこの図の丑と寅の間、つまり艮(北東)の方角のことです。鬼門からは鬼(人間に災いをもたらすもの)が入ってくると考えられていました。。
実際には鬼を見ることはできないので、鬼の絵は想像で描かれました。
よく見ると牛のようにツノが生え、虎柄のパンツを履いていますね。
丑寅の方位から来るからですよね。なかなか安易な創造からきているのですね。
ちなみに嫉妬に狂った女性が生きたまま鬼になることを「生成り(なまなり)」といいました。映画「陰陽師」などに出てきます。
般若のお面は生成りになる途中の女性の顔と言われています。
現代に残る「鬼門」にまつわる風習など
古典の世界でも、現代でも、鬼門にまつわる様々な風習が残っています。
鬼門の位置に置かれた寺
①平安京の場合
平安京の中心的な役所の集まる大内裏。その鬼門の位置には比叡山延暦寺がありました。また、反対側の裏鬼門(坤)には、石清水八幡宮がありました。
延暦寺は平安京の鬼門を守るが故に、徐々に力をつけ、栄えていったのです。
②江戸城の場合
江戸城から見て、北東(鬼門)の位置には寛永寺がありました。また、南西(裏鬼門)の位置には増上寺がありました。 どちらのお寺も現代に残る立派なお寺ですね。
除夜の鐘
12ヶ月の配置を見てみると、12月と1月の間に艮を通過しますね。
つまり時の流れにおける鬼門を通過します。
除夜の鐘は鬼門を通過するときに梵鐘を鳴らして鬼の入らないようにする風習と言われています。
もっとも最近では除夜の鐘の音は近所迷惑であるという苦情が増えて、除夜の鐘をならさない寺も増えてきていると聞いています。
節分の豆まき
節分の豆まきは現在、2月3日に行われますよね。
本来は節分は季節の分かれ目、2月4日が立春となります。
この時期は旧暦の正月にもあたり、鬼門を通過することになるのです。
よって、鬼が現れ、それを豆をまいて退治するという風習になるのですね。
男鹿半島のなまはげ
秋田県男鹿半島に古くから伝わるなまはげ。大晦日の晩に「泣く子はイネガー」などと言って子供たちを泣かす悪い奴らです。
これもかつては旧正月にやっていたようですが、現在は大みそか。どっちにしても鬼門の通過と合わせて鬼が登場するのです。
このように鬼門の考え方は日本の至る所に足跡を残しています。
「鬼門」のお話はいかがでしたか?
古典を読むときに意識しておくだけで、その世界のリアリティが変わります。
ぜひ、日本人のたしなみとして理解しておくとよいでしょう。
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