こんばんは。まさおです。
6/22、文部科学省で「大学入試のあり方に関する検討会議(第27回)」が開かれ、大学入学共通テストで記述問題と英語民間試験はともに断念すべきとの提言案が提示されました。本格的に断念が確定する見通しです。
今回のテーマは「共通テストの記述と民間英語試験廃止へ」です。
大学入試のあり方に関する検討会議(第27回)の議論
6/22に開かれた「大学入試のあり方に関する検討会議」第27回では、本会議の提言の原案が提示されました。
https://www.mext.go.jp/content/20210621-mxt_daigakuc02-000016052_2.pdf
そもそも大学入学者選抜試験はどうあるべきかといった議論からスタートしていますが、上記で話題にした2つの論点「記述式問題の取り扱い」「英語民間試験の取り扱い」については、以下のような結論になっています。
記述式問題
以下の観点から記述式問題の導入は見送るべきとの結論になっています。
(1)採点者の確保
(2)採点精度にばらつきが出る
(3)採点結果と自己採点の不一致
(4)大学への成績提供時期の遅れ
(5)民間事業者活用に伴う利益相反の懸念
(6)採点の制約から評価できる力に限界がある
これまでこの会議で何度となく議論されてきたことを再度提言の原案という形にまとめたものです。新しい議論はないと思います。
英語民間試験
以下のような背景から英語民間試験の導入は見送るべきとの結論になっています。
(1)地理的・経済的事情への対応が不十分
(2)障害のある受験者への配慮が不十分
(3)CEFR対照表で目的や内容の異なる試験の成績を比較するのは無理
(4)国の民間事業者への関与による利益相反の懸念
(5)英語資格・検定試験の活用に関する情報提供の遅れ
これもこれまでの議論をまとめなおしたものですね。新しい情報は入っていません。
結論として、記述式問題も英語民間試験も共通てスつへの導入は見送りが妥当という結論になっています。
なぜ共通テストの記述問題や英語民間試験が求められたか
今回の結論は上記のとおりでよいのですが、これほどに難易度の高い困難な仕組みをなぜ共通テストに取り入れようとしたのでしょうか?
制度上難しいと言って断念するのはすぐにできるのですが、断念しただけでは導入を検討した時の課題は解決せず棚上げになってしまいます。
今回の共通テストに英語民間試験導入をしようとしたのは、英語4技能に対する課題感からでした。日本の学校で教える英語はコミュニケーションツールとして役に立たないという指摘に対して、実践的な英語力をどう身につけていくかというのがテーマでした。
また、記述式問題の導入も、知識偏重にならずに、自分の考えたことをきちんと書くことによって、論理的思考力や表現力を測っていきたいという趣旨でした。
また、多くの高校生が受ける共通テストにこのような制度が導入されれば、高校側の教育姿勢も変わるだろうという期待も背景にありました。
このような根本的な課題に対して、どう解決していくべきかを考えないといけないということです。
今回の提言原案では、このあたりの測定は各大学の個別試験の方でやるべきという結論になっています。
個別試験でやればよいというのは当初の議論からあったようですが、やはり多くの高校生が受ける共通テストに手を入れることで、日本の教育全般に影響力を及ぼしたいという意図があったようです。結果としてそれが無理な制度設計につながってしまったということも言えるのですが…。
到達度測定テストとしての入試の性格を変えることが大事
今後の大学入試のあり方として、試験の得点による合否判定をいつまでやり続けるのかという議論があると思います。
到達度を測定するという趣旨で、テストの点数を合計して合否を決めるとなればどうしても公平性が重視されざるを得ません。
このタイプの試験を日本は長らくやってきましたが、世界の潮流を見てもこの流れだけでは厳しいのではないかと思います。
共通テストは基礎学力を把握するテストとして、これまでの流れを踏襲したテスト形式でよいと思いますが、大学個別試験を大きく変えることが大事だと思います。
大学個別試験を「エッセー+面接試験」のようにして、高校時代にどのような問題意識を持って学んできたかや、大学を出たのち社会にどのように貢献したいのかといった問いを発することで、高校時代の学習のあり方も大きく変わってくると思います。
これまでのテストの得点による合否をやめられるかが、入試改革の本当の第一歩だと思います。
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