こんにちは。まさおです。
学歴社会は崩壊したといわれることもありますが、いまだ日本では学歴重視の風潮は厳然と残っていると思います。一方で、難関大出身なのに全く内定がでない「高学歴就活難民」という言葉も耳にするようになりました。難関校は本来なんとなく目指すものではありません。
今回はそんな難関校・いわゆる偏差値の高い学校を目指そうとする人に、「なぜ難関校を目指すのか」を問いかけたいと思います。
ぜひ一緒に考えてみてください。
難関校に行くと何が違うのか
皆さんは少しでも偏差値の高い学校に行きたいと思いますか?
それはなぜですか?
昔は、「難関校に行けば大手企業に就職ができて安定した生活が送れるから」という答えが多かったのですが、今は新卒で入った会社に40年務めて定年を迎える人は減少傾向です。
では、なぜ難関校を目指すのでしょうか?
自分が塾で教えていたとに難関校を目指す理由として説明していたことは以下のような内容です。
1.難関校には多くの先輩・OBが各方面で活躍している。そういう人たちとつながりを持てるのが難関校の特長
2.同じ学年で一緒に学んだ仲間が20年後、30年後に各方面で活躍している可能性が高い。そういうメンバーと同じ過ごす時間は、相互に刺激を与えあえる素晴らしい環境と言える。
大事なことは、自分の能力をより高める環境として、周囲に優秀なメンバーがいることが本人にとってもプラスに働くということです。
学力的に難関校を目指せるなら、難関校を狙った方が長い人生においてプラスになると思います。
15年前に教えていた中3生と久しぶりに会ってみると、外科医になっていたり、弁護士になっていたり、大学法人の経理担当で公認会計士をやっていたり、商社で海外に発電所を売っていたりと、非常に大きな世界で活躍している人が多いです。
そのメンバーがかつて同じクラスで学んでいて、いまだにLINE等でやり取りをして定期的に会っているというのはお互いにとって視野の広がりや困りごとの相談なども含めてかなりプラスになっていると思います。
※ただし、人生は学力だけではありません。専門技術を磨く道もあります。難関を目指す道だけがよいと言っているわけではないのでご注意ください。
教育の公平性重視でなくなったエリート意識
一方で、日本のエリート意識が希薄になり、そのような環境や学力をうまく使えない人が増えているという指摘もあります。
現在の日本では「エリート」という言葉が少しネガティブな響きを持って受け入れられる風潮があります。
ノブレス・オブリージュという考え方
元来エリートというのは社会の牽引役として、その能力を発揮することを期待された人たちです。
自らも国家の未来を背負うという自覚があったため、かつての日本もエリート層にはいわゆる「ノブレス・オブリージュ」という考え方が浸透していたといわれています。
「ノブレス・オブリージュ」とは、エリート(富裕層)は自分が優遇され色々な恩恵を得る代わりに、その能力を社会に還元する責務があるとする考え方のことです。以下に参考記事を張っておきます。
全員例外なくそうだったかと言われれば疑問もなくはないのですが、大学に行く人数が今よりもずっと少なく、大学に行くということがどういう意味を持つかがはっきりしていた時代の考え方なのだと思います。
大学全入時代に残ったのはヒエラルキーだけ
一方、現代は大学進学希望者をすべて受け入れられるほど大学も数多くあり、大学によっては学力などほとんど問われずに入学可能というところも出てきています。
一方で東大や早慶をはじめとしたトップ大学は入学試験の難易度だけが強調される風潮にあり、大学の序列(ヒエラルキー)だけが認識されるに至っています。
この状態で、トップ大学になんとなく頭がよいという人が大量に進んでいくと、社会に出て自分をどう役に立てていくかという意識のない人材を大量に輩出してしまいます。
もちろん大学側も自分たちの役割を理解しているでしょうから、無策とは思わないのですが、学生側の意識の変化がすごいスピードで進んでいるように見えています。
個人ではなく社会をよりよくしていく牽引役が不足
難関校を目指そうと考える人は、自分の価値を見つめてほしいと思います。
現代は多様化の時代ですから、かつての旧帝大の頃に比べ、いわゆるエリートが活躍する場というのが多岐にわたります。
国家公務員として、各省庁の牽引役になって行政にかかわるというのも一つに方向ですし、スタートアップ企業を立ち上げて、世の中に新しい仕組みや価値を問うというのも十分考えられます。
いずれにせよ重要なことは「個人として良い生活を送る」の前に「世の中の困りごとを解決する」という志を持つことです。
社会の多くの困った人を解決する仕組みを構築すれば、その結果それを作った個人がより恩恵を受けるのは正しい図だと思うのですが、個人の恩恵を先に立ててしまうと米国や中国のITの潮流にますます日本が呑み込まれていってしまいます。
その意味でも、与えられた能力をぜひ困った人を救うことに使ってほしいと思います。
作家の佐藤優さんがかつて外務省時代に、「ただ凄いと思われたい」とか「甘い蜜を吸うようになりたい」と思っている輩がいて本当に面倒だったと言っていました。しかも頭がよいので表面的にそういうそぶりを見せないらしく、かえってタチが悪いように感じたそうです。
公務員は全体の奉仕者ですからね…。
【おまけ】高学歴就活難民について
ここ数年たびたび耳にするようになった「高学歴就活難民」。これは、高学歴であるにもかかわらず全く内定がもらえない人のことを指します。
コロナ前はかなりの売り手市場で、学生側が有利にな状況ではありますが、それでも内定が出ない人がいたようです。
今回のコロナ騒動で業界によっては新卒を受け容れる余裕がなくなってしまった企業もあるようで、来年度の就職活動は明暗が分かれるのではないかと思います。
ところで、高学歴就活難民はなぜ生まれるのでしょうか?
自分は今の会社で採用面接などもしますから、高学歴の人で内定が取れないタイプというのがある程度想像できますので、上記の議論と合わせて少しだけ言及しておきたいと思います。
高学歴だけど内定が取れない学生の特徴
1.学歴に頼ってしまい、個性がない
〇〇大学というレッテルがメインで、自分の意志ややりたいことが語れない人が少なからずいます。
2.理屈は語れるが経験が語れない
世の中に対してこうあるべき、もっとこうなるべきという理屈は語れるのですが、あなたが学生時代にどのような経験を積んだかと聞いても具体が出てこない人がいます。
3.企業研究などが甘く、本気を感じない
面接試験などをしていると、多少なりとも自分が受ける企業がどんなことをやっているか調べると思いますが、本当に知識もなく学歴で勝負しようとして来る人がいます。
他にもいろいろありますが、おまけなのでこれくらいに。
自分とは何者で、何をやりたいのか、受験段階ではわからないかもしれませんが、難関と言われる学校に入ったからには自分の価値を磨く努力をぜひしてください。
未来に大きな可能性があるので、それをするだけで人生が大きく変わるはずです。
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