こんにちは。まさおです。
先日の日経新聞にブラック校則に関する記事が出ていました。今どきブラック校則なんて存在するのか?と思いましたが、まだまだ変な校則がたくさんあるようです。
今回は「今どき、校則は必要か!? ブラック校則を考える」というテーマを取り上げます。
きっかけとなった日経の記事はこちらです。
本来の校則は校内秩序を守るための安全弁
かつて私が中学生だったころは「ツッパリ」という言葉があって、学校に変な学ラン(長ランや短ラン)を着てくる生徒もいれば、「ボンタン」とか「ドカン」と言われる太いズボンをはく生徒がいました。こんな感じのズボンです。
今にして思えば、決してかっこよいわけでもないのですが、当時はそれがカッコいいと思っていた時代でした。
そのころから、学校の校則は厳しくなっていったように思います。
当時の校則の例
以下は当時あった校則の一例で、今も日本中の学校には似たような校則があるものと思います。
- 男子の髪は耳にかかってはいけない。
- 後ろ髪は刈り上げなければいけない
- 靴下は白以外禁止
- トイレットペーパーは30cm以上使ってはいけない
- 学ランの第1ボタンは留めなければいけない
- 女子の髪にリボンをつけてはいけない
- スカートは膝より上にあげてはいけない
- 学校の帰りに寄り道をしてはいけない
- マフラーをして登校してはいけない
- 靴は白か黒でなければいけない
なぜこんな校則が広まったのか
今から40年近く前は、子どもが多くて学校も1学年に何クラスもあった時代です。そんな中厄介な不良少年がいれば学校の先生も対応に右往左往することになります。
そのため、体制に従順な生徒とそうでない生徒を見極めるために、校則を厳格化してそれを守れるかどうかを踏み絵のように使っていたというのが実際のところなのかもしれません。
生徒を信用していなかったということもできると思います。
本来、ルールというのは、その集団を構成するメンバー(学校では生徒)が、安全に安心して生活するための安全弁です。たとえば、人に迷惑をかけるような行為は控えるべきとか、そういう社会に出て他者と関係性を持ちながら暮らしていくために必要なものがルールとして整備されているはずです。
実際は生徒を統制するために必要だというロジックで展開されることが多かったです。当時は不良が本当に迷惑をかけていた時代でもありましたので、親世代もその方が安心という方も多くて、一定の指示もあったと思います。
当時は一部の生徒からは、先生が先生として尊敬されない時代でもありました。厳しい校則はある意味、先生と生徒の力関係を端的に表す仕掛けだったということもできます。
生徒に対する指導の自信のなさの表れともいえると思います。
現代は個人の自由や子どもの人権が尊重される時代
それから40年近くがたち、世の中はすっかり変わりました。
特に、子どもの権利に対する意識は1990年の「子どもの権利条約」の発効によって、より注目されるようになりました。
かつてはみんなが守っていた校則の内、明らかに理不尽な校則は「ブラック校則」=「子どもの人権を犯す拘束」と認知されるようになりました。
しかし、学校は40年前から大きく変わっていないところも多く、社会の変化に取り残される形で校則もそのまま残っているという状況が散見されます。
改めてブラック校則が必要かを考えてみるべき
今の生徒はかつての生徒に比べるととても素直だと思います。SNS等による陰湿ないじめもあり、子どもの内面がこの40年で大きく変わったかといえばそうとも言えないかもしれませんが、少なくとも中学生がボンタンをはいているような時代ではなくなりました。
改めて、自校の校則が本当に必要かを考えてみるべきです。
1.髪型に関する校則
⇒髪型によって誰かが不快になるようなことがあれば、マナーとして直すべき
⇒女子の髪形は授業を受けるのに支障がなければ自由でよいのでは?
髪型や髪色に関する意識は最近特に変わってきていると思います。
個人的には、ツーブロックも全然OKだと思います。ツーブロックで入試の面接で落とすような学校は最初から行く価値のない学校くらいの時代になっていると思います。
髪色も黒でなければならないというのは時代錯誤で、グローバル化の流れの中で髪色を楽しむくらいの余裕があってもよいと思います。(程度問題とは思いますが…)
2.服装に関する校則
⇒富裕層だけが着られるような華美すぎるものは避けた方が良いかもしれないが、制服も不要と思われる。
⇒これからはジェンダーによる服装の押し付けもしづらくなる時代
⇒女子のスカート丈も他の人を不快にしない程度くらいの基準でよいのでは?
⇒マフラー禁止などは意味不明の極み。紛失時の責任だけ本人に課して自由化がよい。
3.持ち物に関する校則
⇒持ち物を自由にする代わりに紛失時の責任も取らないといった自己責任型が今風
⇒スマホの持ち込みも禁止ではなく、自己管理を条件に自由化すべき
最近の保護者の中には、ルールを守らないくせにトラブルになると権利がどうとか、賠償しろとか言う方が増えてきたように思います。
学校は教育の場であり、子どもの集まりということを前提に、ルールの背景をご理解いただく必要はあると思います。
校内の秩序を校則ではなくマナーで維持できれば素晴らしい
上記のように校則の意義を今一度考えて、できるものからどんどん廃止をして子どもたちを自由にする反面、その自由の代わりとしての責任をきちんと考えるようにする必要があります。
自分の自由が周囲の人を不快にする可能性があれば、その行動はマナーとして慎むべきということです。ルールとして禁止するのではなく、今この場にあなたのその行動はふさわしいか、近くにいる人を不快にしないかという観点で、校則を見直すことが重要だと思います。
時代の流れ的にはおかしな校則はすべて廃止し、法律で禁止されていることのみを禁止とするのが基本だと思います。
さらに、自分が他者からされて嫌だったことをやめ、集団が過ごしやすくするためにマナーを守って生活できるように仕向けられれば素晴らしい学校になると思います。
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