こんにちは。まさおです。
日本の入試制度は現在改革中ではありますが、それでも偏差値の呪縛からはなかなか逃れられそうもありません。共通テストも結局1点単位のスコアで合否を決める世界になっています。一方、海外の大学は学力テスト一発勝負という入試は稀です。今回は「日本の偏差値入試はやはり特殊?」というテーマです。
偏差値志向の呪縛から逃れられない日本
日本は共通一次が導入されたころから、入試では試験の成績を得点の高い順に並べて相対評価化し、一定ラインで線を引いて合格者と不合格者を分けるというやり方を取ってきました。
その文脈で、母集団における自分の位置を客観的に知るために「偏差値」という統計的な手法が使われるようになりました。
高校入試でも大学入試でも、あの学校は偏差値いくつだというような会話で使われます。
現在進行中の大学入試改革においても、入試の公平性が声高に叫ばれています。これは偏差値が正しく出ないと正しく合否判定ができないという考え方に基づくものだと思います。
どうしても偏差値で大学を評価しておかないと気が済まないようです。
海外の大学は偏差値を使わない!?
一方で、海外の大学入試などでは、学力検査のスコアだけで合否判定をしないところも多いです。以下の記事に詳細が書かれています。
この記事からわかることは、海外の大学は学力が一定レベルあることは前提で、それに社会奉仕活動やリーダーシップなども含めた「総合評価」で合否を決めているということです。
ハーバード大学は米国の学力テストに当たるSATを2016年から利用中止としています。1点刻みの学力検査を合否の参考にしないということだと思います。
一定レベルの学力はある前提で、「地域社会やコミュニティーに自分がかかわることで何を還元してきたか」や「どのようにリーダーシップを発揮してグループを導いてきたか」など、自らの活動履歴を証明することが求められます。
入試の準備は勉強することだけではないという意味で非常に厳しい入試だと思います。
学力だけでなく、人や社会とのかかわりを大事にする
これからの時代は、教科書に書かれていることをテストで問われて正確に答えられる力だけではちょっと足りないのではと多くの人が気付いています。
それが、高大接続の改革や総合型選抜の拡大といった形で表れてきています。自分がかつて教えていた優秀な生徒の多くは学力だけでなく、学校で中心的な存在として生徒会活動や部活動、あるいは学校外の活動などで活躍をしていました。
制度としては偏差値中心の入試になっていますが、そこで優秀な結果を出す生徒は学力以外の面でも活躍していることが多いということだと思います。
これからの時代は、チームで一つのことを成し遂げるというケースがどんどん増えていくと思います。そしてそのチームは必ずしも気心が知れた仲間や日本人だけとは限りません。同じ志を持ちつつも生まれも育ちも考え方も言語も異なる人がチームの仲間として入ってくる可能性もあるのです。
その意味においても教科書的な学力だけでなく、周囲とのコミュニケーション、特に自分の意見を正しく伝えるということと他者の意見を謙虚に聞くという要素を意識することが重要だと思います。
日本人が海外のトップ大学に入るにはまず言語の壁を突破しなくてはなりません。その上で、上記のような学力をベースとした多様な活動や他者への貢献を進められることが重要だと思います。
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