こんにちは!まさおです。
新型コロナウイルスの影響で甲子園大会は春・夏ともに中止となり、春の出場予定校による交流試合が8月に行われる動きとなりました。
インターハイも中止になる中、緊急事態宣言の解除を受けて、代替大会もあちこちで開かれているようです。
一方で、代替大会の開催に戸惑う受験生もいるようです。
今回は「緊急事態宣言解除後の部活動との付き合い方」を取り上げます。
代替大会に戸惑う受験生もいる
自分はもともとは部活動推進派なのですが、今年のコロナの一件はちょっと考え方を変えないといけないと思っています。
部活動に一生懸命参加することは、困難を突破したり、練習で不可能を可能にしたりといった自分の壁を破る経験を積ませてくれる貴重な機会です。
しかし、それは入試までのスケジュールをきちんと考慮して、受験への影響を見通したうえでの参加であるべきというスタンスでした。
今回のコロナ騒動では、受験までの残り時間とその間の学習スケジュールが大幅に狂っているため、部活に取り組む前提が揺らいでいるとみています。
そんな中、以下の記事を見かけました。
夏の大会が中止になったことで、自分の野球への向き合い方や将来の夢への考え方を変えるきっかけができて、将来に気持ちを切り替えた矢先に代替大会が決まって戸惑っているという記事です。
もちろん代替大会が決まって喜んでいる生徒が大半であることは前提としつつも、そうでない生徒の存在にも気を配る必要があると改めて考えさせられました。
部活動は何のためにあるのか
本来部活動は、学校教育活動の一環として、以下のような目的をもって行われるべきものだと思います。
体力や技能の向上を図る目的以外にも、異年齢との交流の中で、生徒同士や生徒と教師等との好ましい人間関係の構築を図ったり、学習意欲の向上や自己肯定感、責任感、連帯感の涵養に資するなど、生徒の多様な学びの場として、教育的意義が大きい。
スポーツ庁「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」より
上記の赤線のところが部活動の本来の趣旨で、試合で勝つというのはそのための手段という認識です。
ところが、試合は勝負事である以上、勝者と敗者に分かれるため、「やるからには勝つ」というある意味当然のロジックを盾に、ものすごくハードな練習が進められてきました。実際にそのハードな練習が人生の役に立つ部分もあって、ハードな部活自体は大人も黙認したり、応援したりするような状況だったと思います。
部活は手段が目的化した好例(悪例)
その意味では、現在の高校を中心とした部活動、特に強豪校の部活動は、勝つことが目的化してしまったような側面もあると思います。
各校の先生にお聞きすれば、決して勝つこと自体が目的ではないとおっしゃる方も多くいることと思いますが、ハタから見る分には教育的側面を超えたハードな(あるいは理不尽な)部分があるように思います。
今回のような2月以上に及ぶ休校で、学校の授業がその間ストップしていた場合、部活動はどうあるべきなのでしょうか?
前述の目的に照らせば、学習意欲や自己肯定感を育てるために部活動がなければならないので、全人的な教育の観点で見てほどほどの対応であるべきだと考えます。
顧問の先生の趣味ではないということが重要なポイントです。
部活の参加・不参加は生徒自身が最終判断すべき
さて、それでは上記の記事にある生徒は、代替大会に参加すべきでしょうか?
自分の将来の夢に向かって、学習に頭を切り替えた矢先、部活動に帰っていくべきかはなかなか悩ましい問題だと思います。
私が塾の現場で指導していた時は、部活を続ける場合のメリット・デメリット、部活を辞める場合のメリット・デメリットを説明して、生徒自身に冷静に考える時間を与えて判断結果とその理由を聞くようにしていました。
部活を続ければ、仲間と最後の大会の思い出を作ることはできますが、それによって失う時間、遅れる学習は自分で責任を取らなければなりません。
部活を辞めれば、友達との最後の大会を辞退したといううしろめたさが後々まで突いて回ると思います。一方、自分の将来に向けては、自分の責任で自由に使える時間を確保できることになります。
どっちをとっても一定のメリットと一定のデメリットが必ずついて回ります。長い人生とはそのようなメリット・デメリットを並べた上での冷静な判断の積み重ねでしかステップアップできません。
今回の部活動の県も同様の観点で、どっちを選んでも一定のメリットと一定のデメリットがあることを知りつつ、自己責任で判断をするという経験をさせるべきだと考えます。どっちをとっても正解とも言えますし、不正解ともいうことができるのですから。
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