こんにちは。まさおです。
最近、小学校などで「あだ名禁止」の動きが広まっているようです。中には校則に明記されているような学校まであるようです。問題があるから禁止とするのは短絡的で本質的な解決につながらないですね。
今回は「あだ名禁止こそ禁止!」というテーマです。
小学校で広がるあだ名禁止
最近様々なメディアで「あだ名禁止」がテーマとして取り上げられています。
読売新聞やNewsweekのリンクを張っておきます。
あだ名禁止の背景はいじめ予防
小学校であだ名を禁止する背景は、いじめのきっかけになるからということのようです。
確かに小学校や中学校では、相手をからかうような呼び方で相手を傷つけるというシーンが存在すると思います。
子供は遠慮がありませんから、鼻毛が出ていただけで「鼻毛マン」とか、髪の毛を坊主にしてきただけで「木魚」とか、ひどいあだ名をつけることがあります。
上記の読売新聞の記事によると2020年11月の日本トレンドリサーチのあだ名に関するっ調査結果は以下の通りでした。
この調査では、あだ名で嫌な思いをしたことがある人が36.7%いた一方で、あだ名があることに対して肯定的な意見が78.6%に上っているというのが特徴的です。
つまりあだ名は使い方次第という結果になっているということです。
嫌な思いをする人がいるから禁止というのは、教育現場が「教育」ではなく「管理」の場になってしまっている証左だとも思います。本来の「教育」であれば「相手が嫌がるあだ名はどんなあだ名か」、「嫌がるあだ名を自分がつけられたらどう思うか」、「あだ名をどう使うとみんなが楽しく過ごせるか」といったことを考えることが大事だと思います。
あだ名の付け方はどうあるべきか
欧米などでは、多くの人が名前を短縮した「愛称」で呼ばれています。
バイデン大統領は「ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア」がフルネームですが、「ジョー・バイデン」と呼ばれています。
ジョセフがジョーになっているということですよね。
あだ名の本質は親しみであるべき
元来、あだ名とはネットの辞書などによると「他人を親しみ、もしくはあざける気持ちから、本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴からつけた別の名前。ニックネーム。愛称。通称。」などと説明されています。
この中の「あざけり」の要素がいじめのきっかけになるということだと思います。
「あだ名」とは相手への親しみを込めて、お互いのコミュニケーションがしやすくなるような呼び方であるべきという考え方を学校で教えることが重要ということでしょう。
全員「○○さん」としか呼ばれなクラスの距離感
クラスに全くあだ名がなく、クラスの仲間を「○○さん」と呼ぶ環境というのは、非常に固い、距離感のある世界観になってしまいます。
たとえば、授業中のようなオフィシャルな場では、クラスの誰かを指すときは「○○さん」と呼ぶようにし、休み時間や学校行事などではあだ名も可というように、TPOで使い分けるというのも学校で行うべき教育機会のように思います。
今の子供たちは世界で多様な文化で育ってきた多くの外国人と一緒に仕事をする場面が多くなると思います。コミュニケーションの基本となる名前の呼び方についても、世界各国がどのようなニックネームをつけているかを紹介し、外国のような名前を短縮する呼び方を自分でも考えてみようなどとすることであだ名の在り方を考えてもらうというような経験が重要だと思います。
あだな一律禁止は教育機会の放棄
上記のように、あだ名一つとってもその考え方は多岐にわたるわけで、一律に禁止という「思考停止」的な発想は、今の時代にあって一番やってはいけない方法だと思います。
学校現場は、現在、とても厳しいプレッシャーにさらされています。
いじめで万が一児童が自殺でもすれば厳しく責任が問われ、担任教師は生涯消えない心の傷を負うことになると思います。
一方で、そのリスクを恐れるあまりあだ名を禁止してしまうのは、教育の本質である「みんなで楽しく生活をする」とか「相手が嫌がることをしない」という考え方を教える機会を一つ放棄してしまっているように見えます。
その意味では、以下のような整理の仕方がよいのではないかと思います。
みんながあだ名を潤滑油として仲良くなれることが大事だと思います。
あだ名を禁止する動きが学校で進むということは、まだまだ学校は人不足だということだと思います。子供たちの動きをきちんと把握する余裕がないがゆえに、「禁止」でリスク回避をしようとしている状況自体を憂慮すべきだと思います。
学校現場の管理職の能力が問われている案件だとも思います。
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