こんにちは。まさおです。
ワクチン接種の年齢が順次下がってきて、12歳以上の接種者が少しずつ増えてきています。一方で、学校のクラスで接種の有無を聞くことは差別に当たるといった指摘も出始めています。
今回は「接種有無の聞き取りは差別に当たるか」というテーマを取り上げます。
担任クラスで接種有無の聞き取りをして謝罪
奈良県で、クラス担任が生徒にコロナワクチン接種の聞き取りをしたことについて、学校側は差別につながる行為だったとして全校生徒に謝罪をするというニュースがありました。
教諭側は職場体験など郊外に出る行事に向けて接種状況を把握する必要があったとのことでした。業務上必要な行為で、このようなもの代に発展してしまうとは、不本意だったことでしょう。
この対応のどこが問題なのでしょうか?
一昔前であれば何の問題もなかったように思いますが、現在はこの行為は批判されてもやむを得ないことのように思います。
ワクチン接種ができない人とは
健康な人にとっては、ワクチン接種ができない人の存在をあまり実感できないのかもしれませんが、持病や既往症の影響でワクチン接種ができない人というのは一定数存在します。
上記のような人は仮に本人がワクチン接種の希望をしたとしても、別の理由で接種ができない可能性があります。
また、副反応がどう出るかが不明瞭であることや、数が少ないとはいえ死亡した事例などがあることもワクチン接種をためらってしまう人が出る一因となっています。
上記のような状況の生徒が中学校のクラスでどの程度いるかと言えばほとんどいないと思うのですが、クラス内での挙手による聞き取りは、ワクチン接種に消極的な人を未接種者をクラス全員に周知してしまうのでやはり問題があると思います。
「差別」の本質は「低く扱うこと」
なぜ、聞き取り自体が「差別」につながるのでしょうか。
そもそも差別というは「正当な理由なく、相手を低く扱うこと」というのが本質です。
ワクチン接種有無の聞き取り自体が問題なのではなく、聞き取った結果、ワクチン未接種者が「不当に低く扱われる」可能性があると言うところが問題だということです。
具体的には、
・ワクチン未接種者に対して早く接種をするよう圧力をかける
・クラス内で未接種者に対して接種者にはない「からかい」などを受ける可能性がある
・未接種者を接種者に比して低い存在と見る空気がクラスに流れる
といったあたりが問題になると思います。
日本人がもっと多様性を受け容れて、「ワクチン接種ができない人も普通に存在する」ということを認めればよいのですが、同調圧力が強い日本人気質だとまだそのレベルに達することは難しいと思います。
ましてや子供の集団である学校の教室は一般社会以上に差別やいじめが起こりやすい環境なので、教育を徹底しても完全に差別を除くことは難しいのかもしれません。
その意味では、挙手ではなく別の手段の聞き取り(Webアンケートなど)を考えるのが妥当だったと覆います。
接種証明による割引や入場許可は差別か
政府はワクチン接種証明に対して割引や入場許可といった特典を与えることを検討しています。
これは差別に当たるのでしょうか?
この議論は奥が深いので別の記事で詳細を扱いますが、当然差別になるという意見も多数あります。一方で、現在のコロナによる自由が制限された状態から最初に抜け出せるのはワクチン接種者であるという、順番の問題として考える人もいるようです。
賛否両論ありますが、議論のポイントは別途記事にまとめたいと思います。
ワクチンを受けられない人の権利を保護するという感覚をすべての日本人が持てるようになるにはまだ少し時間がかかるように思います。
学校の先生や企業のトップなど指導的な立場の人から人権保護の感覚を持って他者に接する姿勢を示すことが第一歩だと思います。
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