こんにちは。まさおです。
12/27、「都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会」が都庁で会見を開き、2023年度(現中学2年生)から導入予定のスピーキングテストの不備を訴え、中止を求めました。
今回のテーマは「都立高校スピーキングテスト問題」です。
上記項目の中には納得感のあるものと、スピーキングと直接関係のないと思われるものが混在しているように見えます。経済格差はスピーキング以外でも厳然と存在していると思います。
この会見でスピーキングが中止になるとは思えませんが、問題点をきちんと整理して解決していくという態度は大事だと思います。
都立スピーキングの検討状況等は以下の記事で過去に取り上げています。
「~中止を求める会」の記者会見内容
「 都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会 」は都内の中学校や高校の教諭、大学教員から構成されています。
学校の教育の実情などを踏まえて、スピーキングテストの公平実施が難しいという趣旨で会見を開いています。
EduAの以下の記事で詳細がまとめられています。
今回中止を訴える背景は主に以下の通りです。
- 大学入学共通テストの民間英語試験中止
⇒民間に入試をゆだねることの問題点がすでに浮き彫りになっている - 都立スピーキングをベネッセ1社が請け負うことの危険性
⇒ベネッセがどのような採点体制をとるのか等不透明な部分が多い
⇒共通テストでは採点にアルバイトを入れるとして批判を浴びて中止となった経緯がある
⇒ベネッセに都内中学生の全個人情報を預けて大丈夫か - 採点の公平性をどう担保するのか
⇒音声の評価はどうしても採点者の主観に頼る部分が残る
⇒公平な採点方法が確立されないまま導入を進めようとしている
スピーキング教育を長年にわたり専門的に研究している人からすれば、東京都がやっているようなテストは曖昧極まりなく、自分の研究を蹂躙されているような感覚を覚えるかもしれません。
制度設計の不備をきちんと指摘し、どうすれば実施の道が開けるのかを一緒に考えるのが本来あるべき方向だと思ういます。
公平性の問題は、面接試験や作文試験などでも同様のことが言え、合否への影響度合いとのバランスを見てもスピーキングだけをことさら取り上げてやるような話でもないように思います。
一方で、1社にすべてを委ねるというのは確かに危険な要素もあり、徹底した委託先管理や事前調査が必要だと思います。
定期テストの一部に入れて内申点に包含させるなどではダメなのでしょうか?
都教委はどう考えているのか
上記EduAの記事で、東京都教育委員会国際教育推進担当課長の西貝裕武(にしがい・ひろむ)さんが以下のように回答しています。
中学校でスピーキングテストは行っている。身についている力を入試でもしっかり見てあげる、積極的に評価していくことが大事だと考えている
EduA記事より西貝氏のコメントを引用
入試は合否がついて回るので、指導者にもきちんとした指導咳にがついて回ることになります。適切な指導と入試が連動しているかどうかは丁寧に見ていかないと、先生の当たりはずれが合否に直結するリスクがあるように思いますね。
誰が採点しても同じであることを確認しており、信頼できる
EduA記事より西貝氏のコメントを引用
これはあまりいい回答ではないように思います。誰が採点しても同じであることをどう確認したのか、教育委員会はエビデンスを公表する必要があると思います。
そんな簡単な話ではないように思います。
学校の授業では英語で話す活動を計画的に行い、生徒が話すことへの自信を高めることが大切。学校でしっかり取り組むことで、全ての生徒が英語力を身に付ける教育が実現できると思っている
EduA記事より西貝氏のコメントを引用
このスタンスは自部hも正しいと思います。ポイントは学校の英語教諭のスピーキング指導力をどう担保するかです。日本人は発音を気にしてコミュニケーション自体を怖がってしまうという傾向を踏まえれば、「発音の細かな点は気にせず、積極的にコミュニケーションを取ろう」という指導をしたいわけですが、そうすると入試で落ちるかもというジレンマに陥るのではないかと思います。
個人的には、スピーキング評価を積極的に行うことは重要だと思いますが、入試への導入は、プレテストの結果をもとにより多くの人の意見を聞いたうえで決定すべきで、既定路線化して強硬導入というのはあまり良い手段とは思いません。
共通テストも同様のプロセスを経て、大失態を演じているわけですから、東京都も冷静に考えていくべき問題だと思います。
東京都教育委員会は、入試に導入することにより現場教師への県政作用を狙っているところもあるように思います。悉皆調査的に評価が出れば序列がつきますから、学校側も軽視はできなくなり、指導現場に大きな変化をもたらすことは間違いありません。
生徒がその狭間で犠牲にならないように、大人が生徒第一で判断をするべきだと思います。
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