こんにちは。まさおです。
1/30、大学入学共通テストは追試験の2日目を無事に終えました。試験会場では傷害事件を受けての警備強化や不正防止の未然防止の取り組み強化といった対応がとられたようです。
津波警報の影響で中止になった会場も再試験を行いました。試験はなんとか終わりましたが、課題の残った共通テストでした。
今回のテーマは「共通テスト追試験無事終了。何のための受験かを考える」です。
何とか共通テストは無事に終了
2022年の大学入学共通テストは様々な事件や自然災害に影響を受けながらもなんとか終了にこぎつけたようです。
読売新聞では以下のように報じています。
今年は、新型コロナの影響を考慮した防疫体制強化もさることながら、受験生の安全確保のための警備強化や不正行為を未然に防ぐための試験中の監督強化といった対応が行われました。
安全が確保された環境で、自分の実力をいかんなく発揮するといった場ではなく、身の安全も実力の発揮も厳戒態勢の中で行われなければならない、試験としてはとても集中しづらいものだったと思います。
改めて受験の意義を考えるべき
今年の共通テストは改めて受験とは何のために受けるのかということを考えさせられる試験でした。
元来、入学試験とは自分が将来進みたい進路を実現するための学習環境を自分の希望通り実現するための登竜門でした。
大学は1つではなく、自分の学力に合わせて挑戦校・実力相応校・合格可能校のようにレベルを分けて受験をし、合格した学校で自分の将来のための学習を積み上げていくことが想定されています。
ところが、今回の共通テストでおこった2つの事件はいずれも自分の学習環境を実力に見合った形で準備するという元来の目的から逸脱し、とにかく結果を手にしたいという思いが先行した結果起こったように見えます。
東大前刺傷事件
東大前の刺傷事件は高校2年生が自分の成績が下がったことで「成績が振るわず医者に慣れないなら人を殺して切腹しよう」などという身勝手な行動でした。
巻き込まれた受験生はたまったものではないですし、「人を殺して切腹しよう」の「人を殺して」の部分が理解不明です。切腹したければ一人で切腹すればよいのです。なぜ他者を巻き込むのか。
これは、事件を起こした本人にも被害者意識が背景にあったからだと思います。世の中の受験の流れに巻き込まれて、成績の良い状態を維持しなければならないような圧を勝手に感じていたようです。
各種報道を見ても、ご両親も学校側も東大受験を強いていたわけでもなく、本人が「勝手に」そうあるべきと思い込んでいたところがあるようです。
試験でよい点を取って難関大学に行くことが最高の価値であるかのような風潮が日本中にまん延しているということを示唆しているように思います。
この生徒の場合は、彼独自の特殊性もあるように思いますが、やはり(両親以外も含めた一般の)大人が大学のレベルや日本の学歴に対してもっている考え方を変えていかないとこの手の事件はこれからも続いてくのだと思います。
スマホによる不正事件
こちらの事件も、該当の女子大生はいわゆる「仮面浪人」で「成績が伸びず自信がなかった」ことから、周到に準備して試験中の解答を外部に依頼するという行為に及んだようです。
「成績が上がらず追い詰められた。本当に進学したい大学に行きたくて魔が差した。」とコメントしているようですが、カンニングをしてまで入りたい大学とはいったいどのような価値観で選ばれた大学なのでしょうか?
やはり大学自体がその人につくラベルと化していて、そこでどのような勉強をしたかとか、卒業してどのような仕事について社会に貢献したかといった話からかけ離れてしまっていると思います。
今一度進路とは何なのか、受験とは何なのかといったことを考える時期に来ているように思います。
ここ数年は、大学入試の在り方がテストの公平性にフォーカスされていて(それ自体は正しいことなのですが)、進路指導の本質や大学の序列化といった問題に対して社会やどのように受験生にメッセージを送るべきかといった議論がないように思います。
自分の個性や興味にあったことが学べる大学はたくさんあって、そこで腕を磨けば大学受験時の学力によらず、明るい未来を切り開いていけることを大人はもっとメッセージとして発信していくことが大事だと思います。
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