【元気が出る!】受験生を勇気づける名言集(その3)

言葉の力言葉の力
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まさお
まさお

今回は 名言集の第3回です。人生や受験に向き合う上で、勇気を与えてくれる先人たちの言葉を紹介します。
ちなみに 前回までの2回の記事は以下を参照してください。

勉強自体が楽しめていればよいのですが、生きたい学校に合格するために勉強しているとなかなか精神的につらい状況もあるかもしれません。
今回の名言集は、逆境にあっても前進することが成果につながるという内容を集めてみました。
皆さんの座右の銘」の候補になれば幸いです。

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鉄も使わなければ錆び、水も用いらざれば腐敗し、あるいは寒冷にあたって凍結する。人間の知力もまたこれと同じで、絶えず用いらざればついに退化する。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

立ち止まらずに常に頭を使い続けるべきというメッセージ。何かに迷ったりしたときに、少し立ち止まって考えた方がよい時もありますが、長くそこに留まってしまうと次への一歩が踏み出せなくなります
迷ったときも一瞬立ち止まったら、すぐに次への一歩を踏み出すべきです。学習においても常に頭を使い続けることこそが成長そのものなのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日 – 1519年5月2日 )はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家。
音楽や建築、幾何学や解剖学、天文学気象学、地質学など様々な分野に顕著な容積を残した多才の人。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」が有名。

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やるべきことが決まったならば執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく執念の欠如である。(土光敏夫)

最近「執念」という言葉を聞かなくなりました。自ら石川島播磨重工業や東芝の社長を務め、臨時行政調査会の会長も務めた土光さんは、「自らの能力に起動力・粘着力・浸透力・持続力などを与える力を執念とよびたい」と語っています。
生まれつき持っている能力はそれだけでは不十分で、その能力を開花させるだけの強い気持ち(執念)が必要なのだと言っています。

土光敏夫( 1896年9月15日 – 1988年8月4日 )は昭和時代の日本のエンジニア・実業家。        
石川島播磨重工業の社長や東芝の社長・会長を歴任。質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」と親しまれた。

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画家として認められている人が、文章がうまい、ということがよくあるでしょう。何か一つのことで抜きんでると、ほかのこともよくなる。自分の見方ができますからね。(山川静夫)

勉強を進める上でとても参考になる考え方。何か一つのことに抜きんでることが他へ良い影響を与えるのです。数学が苦手な人は数学を克服する前に得意な英語を極めようとすることが大事です。英語が抜きんでて自信が出てくると、苦手だった数学の見え方も変わってくるのです。
そういう受験生は過去にもたくさんいました。自信が自分を変えるのです。

山川静夫(1933年2月27日 –  )は日本のフリーアナウンサー
芸能評論家、エッセイスト、元NHKアナウンサー

わかるだろうか……人生には解決なんてないのだ。ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。そういうエネルギーを作り出さねばならない。解決はそのあとでくる。(サン・テグジュペリ)

目の前にある問題をどうやって解決しようかと考えるのではなく、とにかく前進あるのみという考え方を示しています。自分がこれで解決と思った方法が実際には解決につながらないことも人生には間々あります。そんな時でも、前進するエネルギーさえあれば、後はなんとかなるということはよくあるのです。
困難にぶつかっても天を仰ぐのではなく、前を向いて一歩踏み出してみよう!

サン・テグジュペリ( 1900年6月29日 – 1944年7月31日 )はフランスの作家・パイロット。
自らのパイロットの経験を著作に反映させた。1944年7月31日に出撃後、地中海上空で行方不明となる。「星の王子さま」や「夜間飛行」で有名。

わたしの最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。(ゴールドスミス)

人生を生きていれば、どんな人にでも手痛い失敗というのはあるものです。
受験生においては目の前の定期テストや入学試験での失敗ということになるのかもしれません。
イギリスの詩人、ゴールドスミスは失敗そのものよりも失敗の都度そこから起き上がることが最大の栄誉であると言っています。
失敗してもその失敗を糧に次につながる教区運を得ることが大事なのです。

オリバー・ゴールドスミス(1730年11月10日-1774年4月4日 )はイギリスの詩人・小説家・劇作家。

戦争は見方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却というときに、突然敵が退散するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である。(阿南惟幾(あなみこれちか))

自分が辛い立場に追い込まれたときに、つらいのは自分だけなのかということを考えてみるようにしましょう。自分が辛い時は敵もつらい。最後は根競べということなのです。最後に粘り勝ちを見せるには、戦闘意欲を失わないことが重要になるのです。

阿南惟幾( 1887年2月21日 – 1945年8月15日 )は日本の陸軍軍人。太平洋戦争末期、終戦内閣となった鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣を務めた。終戦の日の未明に割腹自決。

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