こんにちは。まさおです。
今年の1月に実施された現代文では試行調査時に示されたいわゆる「実用文」が出題されませんでした。それをもって受験生が振り回されたなどと言う人もいるようです。
今回のテーマは「共通テストの現代文に実用文は出題されるべきか」です。
令和3年度共通テストの実用文は出なかった
今年の1月に実施された初めての大学入学共通テストでは、試行問題の時に示されていた契約書などの実用文が出題されませんでした。
出題に至らなかった背景には様々な思惑が絡んでいるように見えますが、試行問題を見てその通りの文章が出ると思っていた人々にとっては多少なりとも裏切られた感覚があったようです。
特に記述問題が見送られ、当初100分にする予定だった試験時間が80分に据え置いたため、出せる文章のバリエーションが限られたというのが現実なのかもしれませんが、試行調査以降の様々な意見を総合的に見て、1月の試験問題セットが作られたということなのだと思います。
個人的には、実用文が出なかったことで、80分で行う問題セットとしてはベストに近い形だったと思います。国語の学力を測るツールとしては十分機能したと言えるでしょう。
実用文が必要と言われる理由
そもそも共通テストの試行調査問題で実用文が出題されたのはどういう意図からだったのでしょうか?
背景にはこれから文章に触れる環境自体が大きく変わっていくことも関係しているようです。国立教育政策研究所が2015年に出した「読解力の向上に向けた対応策について」という資料には、「情報活用に関する指導の充実」の一環として実用的な文章を用いた学習の活用を取り上げています。
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/05_counter.pdf
また、紙以外の媒体で文章を扱うことが主流になっていくと、画面上の情報と言葉の結びつきが希薄になり、知覚した情報の意味をきちんと取り込めなくなるリスクについても触れられています。
いずれにせよ、実用的な文章を取り扱う能力の育成は必要であるというスタンスだと思います。
実用文を試験で出すことが解決策ではない
上記課題があることを前提に、どのように読解力を育てていけばよいのかという議論が少し浅いように見えます。
そもそも実用文を読む機会など高校生にはほとんどないわけで、それを共通テストで出題するようになれば実用文が読めるようになるだろうという考え方が短絡的に見えます。
実用的な文章を読む力は、従来の国語指導でも十分に育てられるはずです。一方で、実用文を読む力がなかなかついていないように見えるのは、現状の国語指導に何らかの課題があることも示唆しています。
ただしその解決策が、共通テストで実用文を出すということではないのだと思います。
読解力の本質は相手の情報をくみ取ろうとする姿勢
日本の高校生の実用文を読み取る力が弱いのはモチベーション管理の問題が大きいと思っています。
特に試行調査問題に出てきたような契約書の文面などは、使っている言葉も難しくとっつきにくい文章ではありますが、内容としてはそれほど高度というものでもあります。
重要なことは与えられた文章は、必要があってこのような書き方になっているのであって、その目的や趣旨を理解した上で文章に接する必要があると理解していることです。
日本の子どもたちは、読解力をなぜ身につける必要があるのかを誰にも教えられず、なんとなく国語の学習に入っているように見えます。
すべての文章は、書いた人が読み手に対して伝えたいメッセージがあり、そのメッセージをより効果的に確実に伝えるために、「小説」や「評論」、「実用文」といった形態をとっているのだということを理解すべきです。
その本質的な、書き手の伝えたいことをくみ取るということが見えれば、多少表記が難しくてもその内容に入り込んでいくことが可能になります。
一方で、いやいや文章に目を通している状況では、仮にその生徒がどんなに高い読解力を有していても実力通りの読み取りはできないだろうということです。
教える側は文章を読み取るということは書き手のメッセージを全力で取り込もうとする行為であることを明示的に伝える必要がありますし、生徒の側は文章の内容を理解するという行為を軽視しない姿勢が重要です。
全ての人間同士のつながりは言葉を媒体にしているケースがほとんどですから、受け手の側に受ける準備ができていなければ(読解力がなければ)正しいコミュニケーションは成り立たないということを理解することが大事です。
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