こんにちは。まさおです。
来年度からスタートする高等学校の新指導要領における国語の教科書をめぐって、ちょっとした議論が起こっています。
第一学習社の『現代の国語』の教科書に小説が載っているのはおかしいという議論です。
今回のテーマは「『現代の国語』教科書に小説はNG」というテーマです。
素人目には難しいこの問題を解説していきます。
起こっている議論のポイント
今回起こっている議論は以下のニュース記事がわかりやすいです。
ポイントは以下の通りです。
- 第一学習社の「現代の国語」教科書には「羅生門」などの小説が載っている
- 「現代の国語」には実用文(評論文や新聞記事など)を載せることとなっている
- 今回の教科書検定で第一学習社1点だけ小説が載っているものが合格している
- 一部の教育委員会が小説が載っている「現代の国語」の採択について文科省に問合せをした
- 教科書発行者間でも疑義が生じている
というような状況です。
端的に言うと「現代の国語」に小説を載せてはいけないのになぜ検定が通っているのか?ということです。
これに対して、教科書の審査を行う「教科用図書検定調査審議会」は以下のようなコメントを出しています。
- 小説の掲載が一切禁じられているわけではない
- 今後は新指導要領の趣旨に照らし一層厳正な審査を行う
かなり苦しい説明に見えますが、小説の掲載は禁じられていないので合格としたが新指導要領の趣旨からすれば不適切なので今後は気を付けるというものでした。
客観的に見れば、審査する人が正しく理解していなかっただけのように見えますが、一度通したものを今さら引っ込められないという大人の事情が見えてしまい、かなり苦しい状況だと思います。
指導要領の趣旨では「現代の国語」に小説は載せられない
文部科学省が新指導要領に関するQ&Aで「現代の国語」にて解説をしています。
https://www.mext.go.jp/content/1422366_001.pdf
上記資料の7ページ目のQ8を抜き出しておきます。
上記の下線部の通り、「現代の国語」に掲載さ入れる文章は「論理的な文章」であり、その具体は説明文・論説文・解説文・評論文などという説明がなされています。
普通に考えれば、小説を載せた「現代の国語」教科書は指導要領の趣旨に合っていないので、小説の差し替えを趣旨とする検定意見が出てしかるべきだったということだと思います。
一方で、今回の検定委が通ってしまった背景には、国語の教科書には文学的文章が載っていて違和感がないという過去の習慣のようなものもあると思います。
文学的文章が全くない国語の教科書には逆に少し違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか?
小説は「現代の国語」ではないのか?議論
過去にもありましたが、この問題とセットで巻き起こってくるのが、「小説はもはや現代の国語ではなくなったのか?」という議論です。
古典が「言語文化」に該当するのは当然としても、小説を「現代の国語」から外して「言語文化」に回すというのは、ある意味現代社会には小説のような文学的文章は不要であるという宣言をしているようなもので、指導要領が社会に発するメッセージとしてこれでよいのかという問題がどうしても付きまといます。
小説の存在意義が問われている
次の指導要領買い手は10年後だと思いますが、国語の編成については次の指導要領で大きく議論されるところだと思います。
SNSを中心に短い文章が一般化し、実用文を中心とした国語指導になることで、言葉を積み重ねて伝えるべき厚みのあるメッセージというのがどんどん存在感を失っています。
SNSは事実の一部しか切り取れないため、どうしても前後関係を無視した言葉が並び、それがSNSいじめや差別のような問題を起おしてしまいます。
世の中の出来事はすべて前後関係の文脈の中で解釈すべきであり、ましてや人の感情がそこに絡むような問題というのは小説読解のような場で学ぶのが最も効果的だと思います。
その意味においては、「現代国語」の本質に小説がきちんと位置付けられないと表層的なコミュニケーションばかりになってしまうのではと心配になってきます。
個人的な意見をブログで吐き出したところで世の中は変わらないのでしょうから、世の中に向けて別の手段で発信を続けることが大事ですね。
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