こんにちは。まさおです。
詩の種類について実例を交えて解説をしています。「文語定型詩」「文語自由詩」と解説をしてきて今回は「口語自由詩」を取り上げます。
現代では詩と言えば基本的に口語自由詩を指します。入試で出される現代詩も口語自由詩が大半です。
口語自由詩詩とは?
今回取り上げる口語自由詩は近代から始まった詩のたどり着いた最終形です。
「文語自由詩」の回で解説した通り、もともと日本では詩と言えば「漢詩」を指していました。その後、開国に伴って海外の文化が入り、日本にも独自の詩を持つべきという機運が高まってきました。
西洋詩の翻訳から始まって、漢詩以外の詩の文学が少しずつ成熟していく過程で、五七調や七五調を中心とした「文語定型詩」が生まれてきました。その後、文語自由詩⇒口語自由詩への展開がみられます。
口語自由詩詩は、上記のような経緯から生まれた、現代詩の最終形と見ることができます。
これにより、作者は自分の考えや感情を自在に表現することが可能になったと言えます。
口語自由詩 | 口語(話言葉)で書かれ、1行の字数に決まりを持たない詩。 歴史的かなづかいであっても言葉が古語でなければ口語詩としてとらえる。 作者の感情が自由に表現できるため、現代史は原則口語自由詩の形態をとる。 |
小学校や中学校の教科書に載っている詩の大半は口語自由詩です。文語定型詩や文語自由詩に比べると、日常の言葉を使うことで表現の幅が広がっているのが特徴です。
この後、具体例を見てみましょう。
口語自由詩の例
口語自由詩実例を挙げて解説していきます。
今回取り上げるのは、宮沢賢治が大正13年に発表した「春と修羅」に収められている「永訣の朝」という詩です。学校の教科書に載っているという人もいるでしょう。
永訣の朝
けふのうちに
宮沢賢治「春と修羅」より
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変わって
やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
とても長く、言葉も難しいので意味が取りづらいかもしれません。
また、歴史的かなづかいで書かれているのも読みづらさの原因になると思います。
「永訣の朝」の意味
この詩の意味を丁寧に考えてみましょう。
口語自由詩の意味を考えるときのポイントは、「分かれた行をつなげて一文ずつ意味を正確にとる」ということです。
実際にやってみましょう。
永訣の朝
今日のうちに 遠くへ行ってしまう私の妹よ
まさお訳(別れて書かれた行を文単位でつなげています)
みぞれが降って、表は変に明るいのだ
(あめゆきをとってきてください)
薄赤く一層陰惨な雲から みぞれはびちょびちょ降ってくる
(あめゆきをとってきてください)
青い蓴菜の模様のついた これら二つの欠けた陶椀に お前が食べる雨雪を取ろうとして 私は曲がった鉄砲玉のように この暗いみぞれのなかに飛びだした
(あめゆきをとってきてください)
蒼鉛いろの暗い雲から みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬという今ごろになって 私を一生明るくするために こんなさっぱりした雪のひとわんを お前は私に頼んだのだ
ありがとう私のけなげな妹よ
私もまっすぐに進んでいくから
(あめゆきをとってきてください)
激しい激しい熱や喘ぎの間から お前は私に頼んだのだ
銀河や太陽、気圏などと呼ばれた世界の 空から落ちた雪の最後のひとわんを……
……二つの御影石材に みぞれはさびしく溜まっている
わたくしはその上に危なく立ち 雪と水との真っ白な二相系を保ち 透き通る冷たい雫にみちた このつややかな松のえだから 私のやさしい妹の 最後の食べものをもらっていかう
私たちが一緒に育ってきた間 見慣れた茶碗のこの藍の模様にも もう今日お前は別れてしまう
(私は私で一人、いきます)
本当に今日お前は別れてしまう
ああ、あの閉ざされた病室の 暗い屏風や萱の中に やさしく青白く燃えている 私の健気な妹よ
この雪はどこを選ぼうにも あんまりどこも真っ白なのだ
あんなおそろしい乱れた空から この美しい雪がきたのだ
(またひとにうまれてくるときは こんなに自分のことばかりで くるしまないようにうまれてきます)
お前が食べるこのふたわんの雪に わたくしは今心から祈る
どうかこれが兜率の天の食に変わって やがてはお前とみんなとに聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべての幸いをかけて願う
現代語に直してはみたものの、ちょっと言葉が難しいですよね。
この詩の主題としては、大まかに以下のようにとらえるとよいでしょう。
妹は死の直前の最期の床についている。
そこで妹は兄の私に外の雨雪を取ってきてほしいというのだ。
暗い空から降ってくる雨雪は真っ白でとても明るく神聖なものに見える。
妹は自分の死を暗いものとしないようにこんなに明るくきれいなものを求めたのだ。
どうかこの雨雪が天界の糧となり妹や世界のすべてのためになることを願うのだ。
宮沢賢治の妹をなくす悲しみを音数の制約にとらわれず自由な表現で書いた詩ということになります。
妹の死という辛い思いと雨雪の真っ白な清らかさを対比しているところが特徴です。
自分の想いをそのまま感覚的な表現で書いているので解釈が難しいですが、表面的な解釈ではなくその奥にある作者の心情を読み取ることが重要です。
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