こんにちは。まさおです!
先日、教育評論家の尾木直樹さんがブログで「そろそろ『入試』は辞めにしたらーー」という記事を書かれていました。
競争試験で輪切りにすることへの違和感を表明されています。
今回は高校入試制度はこのまま続けるべきか、必要性について考えてみたいと思います。
尾木直樹氏の問題提起
最初に尾木直樹さんのブログをご紹介します。短いのですぐに読めますし、そこに深い議論はありません。
要点としては、
・思春期の時期に競争試験で輪切りにする意味があるか
・日本はテスト信仰が強い
・日本の分断化の一因にもなっている
・辞めてもよいのではないか
というような流れです。
大変大きな宿題ではありますが、改めて検討する必要があると思います。
日本の高校入試制度の問題点
日本の高校入試は推薦入試など多様化した時代もありますが、いまは学力試験一本に回帰する流れに戻りつつあります。
2021年度からは千葉県がこれまでの前後期制をやめて高校入試一本化にかじを切ります。
そもそも前後期制も当時のゆとり教育による競争批判からスタートしたように記憶していますが、結局わかりづらかったり、二度手間といった議論から一本化に揺り戻されているようです。
一発入試の分かりやすさと危うさ
一本化した入試制度は公平性という意味では抜群にメリットがあります。千葉県で言えば、2021年2月24日・25日に一斉に入試を行い、内申点と当日の学力検査得点の組み合わせで合否が決まります。
これまでの学習経緯はともかく、2月24日の学力試験で得点を取ることが重要視されるわけです。
メリットとデメリットを整理すると以下のようになります。
1.メリット
・当日得点が取れれば誰でも合格のチャンスがある
・何らかの理由で得点が取れず不合格でも一定の納得感がある
・公平性という意味では大変分かりやすい
・準備にかかる労力が最も少ない
2.デメリット
・当日体調不良などに見舞われるとすべてを無駄にしてしまう
・合格者と不合格者が明確に分かれ、勝者と敗者の構図が鮮明に出る
・学力の序列化や人間の序列化の一因になりかねない
皆さんはどう思われるでしょうか?
一発入試の理不尽さ
学習塾の現場で何度も合格発表に立ち会ってきた身として感じることは、一発入試の合否発表の現場ほど残酷な場面はないということです。特に倍率が2倍を超える競争入試色をが出る学校の合格発表はその色合いが鮮明です。
見たことがない人は一度行ってみるとよいと思いますが、遠目に見てもだれが合格者で誰が不合格者かは一目でわかります。受験生の表情が全てを表しています。
合否自体は結果なので受け入れるしかないのですが、塾で指導している立場として理不尽を感じるのは入試までの努力の経過と合否結果が連動しないことが間々あることです。
たとえば、入試の前日にたまたま塾で扱った古文の問題が入試当日のそのまま出てしまうことがあります。
もちろん学習塾の存在意義はそう言うところにあるので、塾の先生は入試問題を研究して出そうな文章というのを授業で扱うわけですからある意味当たるのはよいことです。
一方で、その授業を受けていた生徒はたまたま古文がほぼ満点近く取れてしまうため、合格になる可能性がかなり高まります(早慶附属校などはかなり影響が出ます)。
塾の合格実績は増えるのでよいですが、一方で「本当の生徒の実力を反映していない合格」というモヤモヤがついて回るのです。
また、入試前日に熱を出してしまうなどの体調不良に見舞われた人は実力があるにもかかわらず実力を出せずに不合格になります。本当に悔しい思いをしてきた生徒を何名も見てきました。
一発入試の分かりやすさは同時に残酷さも持っています。偶然の要素に左右された合否を中学生に突きつけるのはその子のその後の人生に少なからず影を落とすリスクがあると常々思っています。
「それが人生だ」と周りの大人は言うのですが、何も入試の場面にそれを持ち込まなくてもよいというのが自分の意見です。
合格者と不合格者の分断
尾木さんのブログの内容と引き合わせた時には、デメリットの「序列化」という問題とセットで考えるべきでしょう。
合格発表の場で不合格になった生徒は、自分の存在がその学校から否定されたという感覚を明確に持ちます。
発表する側はもっと事務的でしょうが、受験生はかなり情緒的です。
そして、合格者が優秀な生徒、不合格者は合格者に及ばなかった生徒という序列化が始まるのです。
この分断意識は、第1志望者が多い公立高校ではなく、不合格となった生徒が進学する私立の併願高校の中で鮮明になります。
併願私立高校の4月の新入生の会話の中に、必ず落ちた公立高校はどこだったかという会話があります。いわば不合格自慢のような図です。その中で、第1志望に落ちた人の集まりという感覚が無意識のうちに生徒の中に作られているのです。
私立高校の先生はそのような生徒を公立高校に進学した生徒以上に育て上げようという気概を持って対応してくれているのでとてもありがたいです。公立に落ちてよかったと言って大学進学を果たす生徒も多くいるので、人生とはわからないのですが、長い人生の中ではこの敗者の意識というのがずっとついて回っていきます。
一方で合格者の中は妙な選民思想に毒されてしまう生徒もいます。その子のためには1度くらい不合格をさせるのも教育だと思ってしまうほど、不合格になった生徒をバカ扱いするケースもあり、合否は人の価値を表さないと何度も説教をしたことを覚えています…。
高校入試制度をどう変えればよいのか
これは簡単に結論が出せないのですが、学力評価テストを年に数回(3~5回程度)実施し、その成績で最もよいものを持ち点として入試に使うというやり方が常識的なやり方だと思います。
埼玉県などは、標準的な業者テストである「北辰テスト」の偏差値がその生徒の持ち点として標準化しています。
極論を言えば、北辰テストの成績のベストを入試に使い、学校内活動などと組み合わせて評価すれば一発入試の弊害は回避できます。業者テストを前面に出すのが難しければ自治体が委託して、自治体の共通テストとしてやればよいのです。現にいくつかの自治体はすでにそのようなテストをやっています。
一方で、1年中ストレスのかかる学力試験をやっているのか?という批判も出てくるでしょう。
それであれば、1学期と2学期の期末テストなどを県で統一問題にしてその成績を使うというのもありかもしれません。
いずれにせよ、一発勝負を複数回に分けること、2月のインフルエンザの流行など体調管理が難しい時期に1回きりのテストですべてを決めないことが重要だと思います。
尾木さんのブログの意図とは異なるかもしれませんが、一発入試の問題はコロナ時代にはより鮮明に問題化してくると思います。
大人が楽をするのではなく、未来を託す子どもたちをどう育てるか真剣に制度設計を考えるべきだと思います。
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